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大神氏(おおがし)は、日本の氏族。平安時代後期以降、豊後国大野郡、直入郡を本拠地とし、豊後国南部に勢力を伸ばした。大和国の大神(おおみわ)氏と区別して、豊後大神氏とも呼ばれる。 大友氏が入国する以前からの豊後国における有力な在地武士の一族で、大野川、大分川流域の大野、直入両郡を本拠地として、豊後国南部に勢力を伸ばした。 == 出自 == 大和国の大神氏 (おおみわし) の流れを汲むとされるが、そこに直接つながるとする説と、豊前国の大神氏を経るとする説とがある。 直接つながるとする説の代表的なものは、大和大神氏 の分流である大神良臣が仁和2年(886年)に豊後介を任じられたが、その善政を慕った領民の願いによって、任期後にその子庶幾が大野郡領としてとどめられ、さらにその子の惟基が豊後大神氏の始祖となったとするものである。一方中野幡能氏が詳説した豊前大神氏を経るとの説は、豊前国に入り宇佐神宮の創祀に関わった大神比義に始まり、同宮の禰宜職及び後に大宮司職を継いだ大神氏が、同じく大宮司職に就く資格を持ち在来の豪族であったとされる宇佐氏と争い、それに敗れたために宮外に土着したとするものである。 『大神家系図』では大神吉成 (筑後介、従六位下)から九州へ移住したことがわかる。『日本三代実録』(仁和三年三月)を見ると、大神朝臣良臣 (豊後介、従五位下)の官位請求の史実とそれを朝廷が認めたとあり実在が証明されている。このように当時の朝廷より官位を貰って筑後から豊後に赴任した史実が決定的であるため豊前国起源説は現代の研究家からは否定的に見られている。大分県地方史研究会の『大分縣地方史』(第79号昭和50年10月)より、大神朝臣良臣の時に農民から懇願され寛平四年三月に豊後守(豊後介)に再任された(左大史外従五位下豊後介貞観四年改賜大神朝臣姓寛平四年三月再任豊後介既満期任當去其職百姓惜慕請留其子庶幾)との記述があり、これから史実として豊後の主となり、領民から懇願されとどまるとされたことがわかる。此をもって大和大神氏からの出自は決定的とされ、現在、大神神社でも大神氏を末裔としている。 その一方、「古代士族の研究7」の『三輪氏』(宝賀寿男箸)によると、基本的に大神氏は大和大神氏からの出自であるが、豊前の大神氏は大和大神氏同様の『蛇竜』との『神婚』から始まるという独特な神話を持ち、豊後、大和双方神話共に弥生系とされる海神族(中国江南地方発祥)の特徴を受け継いでいるともいわれる。また、スサノオなどの天孫族に伝わる天孫降臨などの表現特性も、ユーラシアのツングース族の始祖伝来表現によく見られると指摘されている。また、スサノオが出雲の神だとする研究者も多く、司馬遼太郎の『歴史の中の日本』においては、出雲族をツングース系としている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大神氏 (豊後国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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